園長室

「私の動物園」


この度,3月31日に小菅園長が退職となります。
その退職に際し,旭山ファンをはじめとする,みなさまへのメッセージです




 私は,3歳の頃に,父に肩車してもらいゾウと出会いました。もちろん動物園の人混みの中です。私たちだけがゾウに背を向けて写真撮影をしていました。小学生の頃,動物園主催の愛鳥週間の行事で絵画コンクールに祖母の飼っていたカナリアを書いて応募しました。入選してベニスズメを副賞に貰ってきました。中学〜高校と動物園のある山へ昆虫採集に出かけ,動物園で一休み。大学では,花見や神社参拝にかこつけて,ついでに動物園の門をくぐり,動物たちの仕草に意味もなく笑っていました。そういえば,私は動物園の周りで遊び,動物園の周りで育ってきたようです。でも,自分が動物園に就職しようとは毛の先ほども思いませんでした。
 そんな私が動物園に入ったのは,まさに偶然の賜でした。柔道ばかりで卒業も危うかった私の目の前に「旭山動物園」という求人票が降ってきたのは3月に入ってからのことでした。そして,3月25日面接,4月1日採用という離れ業で,動物園のなんたるかも知らないばかりか,野生動物に関する知識など皆無の私が,何の予備知識もなく動物園の世界に入ってしまったのです。

 旭山動物園は,開園が1967年。私が入園したのが1973年なので,開園してまもなくの頃だったのです。草創期の動物園らしく,あらゆる事が新鮮で,入園したばかりの私も議論の輪に加えて貰っていたのです。そんな自由な空気を旭山動物園は持っていました。
 初めて担当したのはキジ類やインコ類でしたが,3年目くらいからキリンを担当させて貰いました。毎日が楽しくて,しかも給料が貰えるなんて「こんな職場があって良いのか」とさえ思っていたくらいです。飼育技術者研究会へも毎年発表を持って参加させてもらい,その帰りには全国の動物園を訪ね歩きました。本でしか見たことのない動物たち,素晴らしい施設,豊富な人員,どれ一つとっても私を落ち込ませるには十分でした。もちろん,すぐに回復するのですが,全国の動物園を訪れながら,動物園とは何なのかをずっと考え,多くの先輩から教えをいただいた時代だったような気がします。

 でも,真剣に動物園の役割を考えるようになったきっかけは,旭山動物園の入園者数が減少し続けていることで,市役所や市議会に廃止容認論が出てきた頃でした。係長になったばかりの私は,「動物園の役割は終わった。このままでは,近い将来,旭山動物園は閉園せざるを得ない」と告げられたたのです。その後,入園者確保のため,何ができるのかを話し合いに本庁の方たちが何度もやって来たことを覚えています。議論は平行線を続け,最後には,「小菅,お前がやれ」ということになったのです。
 動物園の役割とはなにか。近代動物園の役割は,レクリエーション,研究,教育,自然保護の4つであると明瞭に謳われています。小さい動物園ながら,染色体の研究や獣医学研究はやってきているし,教育的活動は学校教育とも連携して行っていました。自然保護についても,傷病動物の保護や地域の環境保全活動など地道に活動を続けていました。そもそも「旭川の子どもたちが短い夏を世界の動物たちとともに楽しめるように」という旭山動物園設立の理念のとおり,健全なレクリエーションの場を提供してきた。つまり,私たちは,動物園の役割をしっかりと果たしているという自負心はあったのです。
 その役割が終わったとは,何という事だ。彼らは我々の活動をどこまで知っているのか。そもそも動物園の役割自体をどう理解しているのか。当時の私は,周りが理解を示してくれていないことへの憤懣に囚われていました。市役所を説得しようと藻掻いているうちに,はたと気付いたのです。“来園者の一人もいない動物園”って存在しうるのかということです。

 私は考えました。“博物館だろうが,美術館だろうが,一般公開されていて,利用者のない状況は,存在を否定された事と同じではないのか”。“野生動物の研究のため,環境教育のため,自然保護活動,これらは動物園にとって今や必要不可欠の活動である”。“この3本の柱を持たない動物園は存在を許されないのだ”。でも“これらの活動は,大学や研究所,教育機関,国,自治体など動物園でなくても推進できることなのだ”。”というより動物園独自で活動することは難しく,実際には活動の一部を担うことになるのではないか”。”では,動物園にしかできない活動は何なのか”。というようなことを考えていたのです。
 そこで,レクリエーションです。辞書を引くと「recreation:肉体的・精神的疲労をいやし,元気を回復するために休養をとったり娯楽を行ったりすること」とあります。よく動物園否定論者の発言として「動物園は,人間の娯楽のために野生動物を飼育している」という批判を耳にします。現実に動物園ではほとんどの人が笑顔なのです。みな,緊張感から解き放たれた癒しを実感しているようです。ですから,間違いなく動物園は人々に“笑顔の元”を供給しているのです。そのことを一番実感しているのは,我々動物園人のはずです。もしかしたら,そういう思いがある種の後ろめたさとなり,欧米の動物園を中心に“我々は人々の楽しみのために野生動物を見せているのではなく,研究・教育・自然保護のために飼育展示しているんだ”と殊更に力説するようになったのではないかとさえ考えていました。

 動物園の長い歴史を支えてきたのは,人間社会が動物園を必要としてきたからです。当然,その時々によって求められる役割は変わってきますので,時代の要請に応えるのは,社会的施設として重要なことです。私は,現代社会の要請が,研究や環境教育であり,希少動物の保護増殖であることに異論を挟むことはありません。しかしどうでしょう,多くの人々が野生動物との共生を望まない限り希少動物の保護,さらには環境保全など実現できないのではありませんか。人々が自然環境よりも人間の利便性が優先すると考えていたら,いつまで経っても野生動物保護や自然環境保全が顧みられることはないでしょう。私は,ここにこそレクリエーションの持つ重要な役割があると思っています。
 前述した,人々の“笑顔の元”とは,すなわち多くの野生動物と空間を共にすることだと思います。つまり,野生動物を象徴とする豊かな自然に包まれているときに,人間は元気を回復しているということになります。そこにこそ,時代を超えた動物園の存在意義があると思うのです。野生動物と共に在る心地良さを感じない人間が,希少動物の保護や環境保全に理解を示すとは思えませんし,まして自らが自然保護活動に参加することなどありえません。一方で,動物園を通して“笑顔の元”に気づいた人々は,野生動物の保護に対して共感し,活動を支援し,さらには自らが行動を起こすことでしょう。これそこが,動物園にしか出来ない自然保護活動だと考えています。
 だからといって,研究や教育,自然保護の役割を軽く見てはいけません。それらは現代社会の大きな要請であるからです。動物園を名乗っている限り,これら3つの役割は必要不可欠な活動です。現在は,その一つでも欠けたら動物園という看板を掲げることが許されない時代なのです。さらにその上にたって,動物園を訪れる多くの人々に野生動物の魅力を伝え,彼らの現状を訴え,野生動物保護活動へ理解と支援を求めるような活動をしていかなければならないのです。
 地球総人口は70億人へと迫り,飢餓と紛争は深刻の度を増しています。食糧増産,戦争,さらには人間生活の快適追求等々,あらゆることの犠牲が野生動物に強いられているのです。そして,地球の未来は,危うさばかりが情報として流れていながら,何も見えてきません。まるで,いずれ確実にやって来る死を知っていながら,日々を気楽に生きている我々のように・・・。そんな社会情勢の中でも,動物園を楽しい場所と感じてくれる人々がいる限り,野生動物を絶滅から救う可能性はなくならないものと信じています。

 私は,3月31日を以て,園長を辞します。長い間のご支援とご協力に深く感謝申し上げます。旭川市旭山動物園は,これまでの活動をさらに深めながら,新園長の下,力強く明日へ向かって活動して参ります。今後ともよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

 
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